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研究テーマ

 生物現象の有機化学的解明は、私のような天然物化学者の究極の夢である。 サブナノメートルサイズの極小分子がメートルレベルの大きさを持つ生物の行動・生態を制御する仕組みは、我々の好奇心を刺激してやまない。 当研究室では、生物現象をコントロールする分子を天然から発見し、これらをツールとして用いることで、生物の謎を解明することを目指している。 特に、古くから人類史に登場する謎多き生物現象を対象に、有機化学を武器とした「謎解き」を行っている。 これらの研究を通じて新たに開発された研究手法は、ヒトなどの動物を対象とした創薬研究などにも応用可能な大きな可能性を秘めている。


1. 植物のリズム運動を制御する分子

 マメ科植物が夜になると葉を閉じ、朝には再び葉を開く就眠運動は、生物時計によってコントロールされている。 就眠運動の最古の記録はアレキサンダー大王の時代にまで遡る。 18世紀には、オジギソウの就眠運動の観察から生物時計が発見され、世界中で膨大な研究が行われた。 進化論のダーウィンも、晩年、植物の運動に魅せられ、19世紀には、大著「植物の運動力」を出版してこの分野を体系化した。
 我々は、マメ科植物に、葉を閉じさせる就眠物質と葉を開かせる覚醒物質がペアで含まれることを明らかにした。 就眠運動はこれら2種の生理活性物質によって制御され、生理活性物質は分類学上の属ごとに異なっていた。 活性物質の発見によって、就眠運動を生物有機化学的なアプローチで研究することが可能となった。


2. 生物時計は生理活性物質の代謝を制御して運動のリズムを作る

 植物体内では、特定の時間になると就眠・覚醒両物質の内の片方が代謝分解されることで、両物質の植物体内における濃度バランスが昼と夜とで逆転する。 生物時計は、植物体内で活性物質の分解に関与するβ-グルコシダーゼ活性をコントロールすることで運動のリズムを作りだしており、 生物時計はグリコシド結合の開裂・形成という一連の化学反応を通じて就眠運動をコントロールしていることが明らかになった。 これは、生物時計によって制御される生物現象を有機化学反応のレベルで解明した世界初の例である。


3. 機能性プローブ分子の分子設計と合成

 生物現象をコントロールする生理活性分子の発見により、これらに各種機能性ユニットを導入した「分子プローブ」の設計と合成が可能になる。 分子プローブを用いて、生理活性分子が、生物体内のどの細胞のどのタンパク質に結合することで、 どのように生物現象の引き金を引くのか?という「生き物の仕組み」=「神様の作ったパズル」を解く究極の謎解きにチャレンジしている。

3.1. 生理活性分子の生体内標的細胞はどこか?:蛍光プローブ

 就眠運動を詳細に解析すると、運動が起こる際には葉の付け根の葉枕部内側と外側に含まれる運動細胞が異なる体積変化を生じることで、 葉の上下で体積差が生じて、葉の開閉が引き起こされることが分かる。 このため、活性物質受容体が葉枕部にどの様な空間的分布で存在するかを明らかにしなければ、「葉が動く仕組み」を解明したことにならない。 我々は、就眠・覚醒両物質をそれぞれ異なる蛍光色素で標識した2種の蛍光プローブを開発し、2重蛍光標識により、活性物質受容体の空間的な分布を調べた。 その結果、就眠・覚醒両物質に対する2つの受容体が、葉枕の運動細胞、しかもそのうち内側部分の運動細胞(extensor cell)のみに存在することを明らかにした。 これは、活性物質によって葉枕の片側の運動細胞のみが大きく膨張・収縮することが引き金となって葉の上下の細胞の体積差が生じ、運動が起こることを示している。 これらの成果は、低分子生理活性物質を基にしたプローブ分子を用いて、その受容体の生物体内におけるマクロスコピックな空間的分布を明らかにし、 生物現象の仕組みを解明した画期的な成果である。今後は、活性物質の投与によるK+イオンの動きを観察したいと考えている。

3.2. 生理活性分子の受容体タンパク質を解明する:光親和性プローブ

 光化学反応により、高反応性化学種を発生する光親和性プローブは、活性物質の結合タンパク質の解明に有効である。 運動細胞には、2種の受容体候補タンパク質(分子量約210 kDa、180 kDa)が存在することも明らかにした。 また、Albizzia属植物を用いて、活性物質受容体が分類学上の属に特異的であることも明らかに成りつつある。

3.3. 生理活性分子の受容体タンパク質を直接見る:電子顕微鏡TEMプローブ

 蛍光プローブにより標的細胞が明らかになったが、これは細胞中のどの部分に局在化しているのか?光学顕微鏡の空間分解能では、この問題に答えることは出来ない。 我々は、光学顕微鏡の4万倍(0.1 nm)の空間分解能をもつ、透過型電子顕微鏡(TEM)を用いて、生理活性物質と結合した受容体を直接観察することに成功した。 この方法によって、生理活性物質の受容体が、細胞内のどこで働いているのかを正確に決定することが可能になった。

3.4. 究極の分子プローブ法に向けて:Enentio-differential分子プローブ法

 分子プローブを用いた研究では、「多官能基性で巨大な機能性ユニットをもつプローブ分子は、本当に天然物の真の標的タンパク質に結合しているのか?」と言う問題が常につきまとう。 生理活性物質に巨大な機能性ユニット(蛍光色素など)を導入した分子プローブが生体内において単純に生理活性物質と同じ挙動を示すと仮定するには抵抗がある。 このため、生理活性を持つプローブ(ポジティブプローブ)を用いた実験結果を、生理活性を持たない構造類縁体型プローブ(ネガティブプローブ)を用いた適切なコントロール実験の結果と比較する必要が生じる。 得られた結果に対する精度を向上させるには、いかに生理活性物質と同じ化学的・物理的性質を有するネガティブプローブを開発するかがカギになる。 我々は、光学的に純粋な生理活性物質を基にしたポジティブプローブと、そのエナンチオマー(鏡像体)をプローブ化したネガティブプローブとを併用することで、この問題の理想的な解決策とする「エナンチオ・デファレンシャル法」を提案した。 すなわち両鏡像体は、旋光度および光学活性物質に対する親和性以外のすべての物理・化学的性質が等しく、これらを用いた実験結果を比較することで、 非特異的結合(吸着など)に基づくノイズから、結合タンパク質による天然型立体配置をもつ生理活性物質の認識のみを正確に峻別することができ、上記の問題に理想的な解決を与えることができる。
 エナンチオ・デファレンシャル法の真の威力は、今後検討を行う光親和性プローブへの適応にある。 現在の光親和性プローブ法は、生物学的研究(分子遺伝学的、生化学的など)によって、特定の生体現象に関与するタンパク質がある程度絞り込まれた場合に、 補助的な手法として結合タンパク質の確定、結合部位の解析などの目的で使用されることが多い。 このため、生体から全く未知の結合タンパク質を探索する場合には、非特異的結合などと区別するため、実験結果に対する慎重な裏付けが必要である。 エナンチオ・デファレンシャル法によれば、非特異的結合を含む結合タンパク質の中から、リガンドの立体化学を認識するタンパク質(=真の結合タンパク質)のみを正確に区別することが可能になる。

 以上のように、生物現象をコントロールする活性物質の発見が、生物現象をコントロールする2種の鍵タンパク質、 運動のリズム制御を司るβ-glucosidaseと細胞の体積変化を司る活性物質受容体の発見に繋がった。


4. 食虫植物ハエトリソウの"記憶"現象と生体機能性分子

 ハエトリソウ(Dionaea muscipula Ellis)の最大の特徴は、二枚貝のような葉柄(捕虫葉)の素早い運動で獲物を捕らえて栄養とする点である。 この補虫運動には「記憶」ともいうべき不思議な生物現象が見られる。運動は、捕虫葉に6本ある感覚毛と呼ばれるトゲに30秒以内に2回の刺激を受けることで起こる。 ハエトリソウには1度目の刺激を「記憶」する仕組みが存在し、これは、植物が高等動物と同様の「記憶」を持っている稀有な例である。
 我々は、複数回の刺激により、内生生理活性物質が段階的に放出され、その生体内濃度が閾値を超えることで運動が起こると仮定した。
 クローン化ハエトリソウを用いた再現性の良い生物検定試験法を確立し、接触刺激を与えなくても閉葉運動を起こす活性物質を探索した結果、 葉一枚あたりわずか2 ngの微量で捕虫運動を誘導する糖鎖124 μgの単離に成功した。 極微量加水分解実験とcold probe装備500 MHz NMR装置による1H NMR測定によって、各構成糖の構造を、 α-L-アラビノフラノシド、 α-D-ガラクトピラノシド、α-D-キシロピラノシドと決定した。
 一方、抽出液中には、低分子活性物質の存在も確認された。 現在のところ数種の化合物の混合物ではあるが、葉一枚あたりわずか1 ngで活性を示す画分が得られており、更に検討を進めている。


5. 植物を枯らす抗がん剤、コチレニンAの合成研究

 コチレニンAおよびフシコクシンAは、植物形質膜上のH+-ATPaseと14-3-3タンパク質の会合を安定化させることで葉の気孔を開かせ、植物を枯れさせることが知られている。 また、正常人には見られないが、クロイツフェルト−ヤコブ病・エイズ脳症患者の脳脊髄液中の約8割に14-3-3タンパク質が存在することから、上記化合物はこれらの疾病解明のためのツールになることが期待される。 上記化合物は細胞内のシグナル伝達に関与していると考えられ、これらの生理活性が探索された結果、コチレニンAは急性骨髄性白血病細胞に対し分化誘導活性を示し、腫瘍の増殖を抑制することが明らかとなった。 さらに、コチレニンAとインターフェロンαを併用すると、各種がん細胞のアポトーシスを誘導するため、コチレニンAは新規抗がん剤として注目を集めている。 一方、コチレニンAと類似の構造を有するフシコクシンAは、分化誘導活性を示さない。 現在、コチレニンA生産菌が絶え、培養による供給が非常に困難であるため、人工合成による供給が切望されている。
 我々は、コチレニンAの効率的合成ルートを開発し、生化学的研究のための量的供給と分子プローブ調製を行う。 また、さまざまな誘導体を合成し、より強力な活性を有する化合物の創製を行う。

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